日本刀の歴史(幕末期~明治時代以降)

この時代の刀は「新々刀(しんしんとう)」もしくは「復古刀(ふっことう)」と呼ばれます。復古刀とは、江戸の水心子正秀(すいしんしまさひで)が提唱した、刀は鎌倉時代に還るべきであるという復古刀論が元になっており、京都では南海太郎朝尊(なんかいたろうともたか)が同じく復古を提唱し、数多くの刀工によって鎌倉時代の作刀が行われたものを言います。

特徴としては、重ねが厚く平肉がつかない姿形で、鎌倉時代の太刀などを模したものばかりではなく、南北朝時代の身幅の広い中切先の姿に似たものも流通しました。

日本は1635年から鎖国を開始しましたが、1853年ペリーの来航により、鎖国が崩壊。日本人が再び海外へと目を向け始めることとなりました。
慶応3年(1867年)、将軍徳川慶喜の大政奉還によって、日本は明治時代へと移ります。この時代は、近代日本の礎となる時代でしたが、明治9年に廃刀令が公布され、多くの刀工が職を失うこととなりました。この廃刀令から現在までの日本刀を、現代等と呼びます。

明治39年になって、月山貞一(がっさんさだいち)、宮本包則(みやもとかねのり)が帝室技芸員に任命され、作刀技術は保護され、現在までその技法は受け継がれています。
帝室技芸員とは、帝室の工芸品や美術品の製作を命ぜられた美術家のことで、高い地位にありました。

第二次世界大戦後には、連合軍により刀狩りが行われました。ポツダム宣言の受諾により、武装解除として国内の武器という武器を全て一定の場所に集め、連合軍に引き渡せるような対処が求められました。日本刀もこの対象となり、多くの刀が没収されましたが、文化財保護委員会を通じて連合軍の許可を得て、所定の手続きをとることで刀の所持を認められることとなりました。

この後しばらくして、文化財保護委員会の許可を得ることでの作刀も許可される運びとなりました。