日本刀の歴史(安土・桃山時代~江戸時代)

日本刀剣史において、慶長(1596~1614年)以前のものを「古刀(ことう)」、それ以降のものを「新刀(しんとう)」と呼んで区別しています。この時代の特徴は、広い身幅で、切先が延びたものが流行し、南北朝時代のものを大磨上(おおすりあげ)にした姿によく似た作風となっています。大磨上とは、茎から短く詰めることを言います。

長きに渡り続いた戦乱の世が終わり、海外との交易が始まりました。この時代に日本人は、御朱印船が多く渡航した南洋地域に進出、日本人町を形成します。交通の発達は鉄資材の通商を促し、オランダやポルトガルなどからいわゆる南蛮鉄が輸入され、刀の材料として使用されるようになりました。

著名な刀工が数多く出現した時代でもあり、京や江戸を始めとする諸大名の城下町を中心に作刀を行いました。

江戸時代になると、天下泰平な世の中になり、日本刀は徐々に美的価値を追求するようになります。江戸時代初期の様式としては、頃合いの身幅で、先身幅が狭まり、切先も小さくなります。刃長は2尺3寸程度のものが多く作られました。このような、中切先でこじんまりとした様式のものを「寛文新刀(かんぶんしんとう)」と呼び、およそ寛文(1661~1672年)から元禄(1688~1703年)の頃までの作刀を指します。

江戸時代中期に入ると、前述の通り天下泰平の世情を反映し、刀工が減少していきました。寛文新刀から新々刀へと移る時期で、反りが深めになってきます。