日本刀の歴史(南北朝時代~室町時代)

1333年、新田義貞によって鎌倉が攻略され、148年続いた鎌倉幕府は滅亡。南北朝時代へと移ります。この時代は、朝廷が南の大覚寺、北の持明院とに分裂し、激しく争っていました。戦乱の世のためか、身幅が広くて長大な太刀が作られました。これは日本刀の歴史の中で最も長大な姿で、およそ3尺(90.9cm)もありました。太刀が長大化したことで、短刀も同様に長大化し、1尺を超えるものが作られました。

日本刀剣史において、およそ200年とされる室町時代に入ると、その初期には鎌倉様式に習った作風となります。室町幕府は、鎌倉時代の制度を継承する形で始まりましたが、南北朝の戦が終わり、第四代将軍足利義持が政権を築いたことでその思想色が強まり、刀剣の特色として現れたものと言われています。

前時代の長大な様式の刀剣は徐々にすたれ、「打刀(うちがたな)」と呼ばれる刃長2尺5寸程度のやや短めな刀が流行するようになりました。これは、戦国時代における抜刀術(ばっとうじゅつ)や居合術(いあいじゅつ)が影響しており、片手打ちに適した様式がとられたと考えられます。片手打ちとは、映画などでもよく見せ場として登場しますが、刀を片手で一気に抜き、相手を瞬間的に斬り倒すことを言います。

室町時代後期になると馬上戦術がすたれ、徒歩の陣形をとった集団戦へと移行します。それに伴い、刃を上向きで腰帯にさす打刀が多く用いられるようになりました。応仁の乱以降には戦乱が各地へ広まり、量産品が多々出回ります。その中で注文によって、いわゆるオーダーメイドされたものを注文打(ちゅうもんうち)と呼び区別されました。